看護過程はそのうちできるようになればいいのか?
そのうちできるようになればいい、のであれば、評価なくしてほしいですよね。(心の声)
自然なことで、わざわざ言うこともしなかったんですが、看護過程や実習記録の書き方を教えているとき、教えている相手は「かならずできるようになる」という前提でかかわっています。
なので、学生さん本人が「無理です。私」と言っても、「あら、そうなの?もうすぐ、できるようになるのに」って思います。
もちろん無理強いはしません。基本、やりたいければ、やる。やりたくなければ、やらない、というスタンスを受け入れています。休んでもいいし、一回やめてやり直してもいい。
無関心に見える人もいるかもしれないですし、寛大に感じる人もいるかもしれません。大切な自分の人生・自分の時間を、どう生きる(使う)のかを決めるのは、他の誰でもない「自分」であってほしいと思うのです。(なぜなら、私が人に決められたくないから。笑)
あらあら、話を戻します。
「かならずできるようになるという前提」についての話。
「看護過程は慣れだから、そのうちできるようになるよ」というアドバイスをもらうと、ほっと力が抜けることがあるかもしれません。
きっと「今できなくても大丈夫。ちゃんと、そのうちできるようになるから」と励ましてくださっているんですよね。この言葉にどれだけの学生さんが励まされたことか。
ただ、このフレーズ、自分に言われたならば、冒頭の心の声がわいてしまうのです。「そのうちできればいいのなら、今評価しなくていいのに」と。
「今はできない」ことから、話が始まるあたりがひっかかってしまって。だとすると、今はできなくても仕方がないと思って指導するわけですよね?? っで、私は、今はできなくても仕方ないと思って取り組む?? なのだとしたら。
それ、なんとなく最初から諦めている感じで、しません??
もちろん、諦めモードが丸出しになるわけではないと思うんですが、でもやっぱりそういう思いって、表に出るんじゃないかと。言葉やら、態度やら、決断やらに。出そうと思っていないのに、出てしまうって、やっかいだなって。
↑これを起こさないために、「かならずできるようになる」という前提を持っているのかというと、それもあります。あとは、これまでの経験から、関わった学生さんは、みんなできるようになっていくから。「できない」って、正確には「うまくできない」のことが多くて、「うまくできない」というのは、「できる」の途中なんですよね。そう、できるようになってる途中。それを見ていると、できるようになるとしか思えないのです。
できるようになるまでにかかる時間とか、できるようになるまでの関わり方とか、本人の心の揺れとか、その他色々、もちろん個人によって違いはあります。
ただ、本人が「できるようになる」ことを目指して取り組んでいる限り、それは実現できる、そんなふうに感じています。
なぜか。
「できるようになるため」にどうするのか、に反応するアンテナが働くようになるからです。できない理由の代わりに、できるようになるための情報が集まるからです。
言い換えると、「できない私」がインプットされると、「できない私」として何かを考えたり、何かをしたりすることになります。意識しなくとも、です。いつでも、どこでも「できない私」が前提になってしまう。「できない私」が定着してしまうのです。
これでは、あなたにしかできない看護を必要としている人に、あなたの看護を届けられません。
あなたは、どっちのアンテナを働かせますか?
できるようになるためのアンテナ?
できない理由を探すためのアンテナ?
↑これ、全然違う情報が集まるので、ぜひ試してみてほしいです。
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。 ヒンズー教の教え より