考えても考えてもアセスメントが書けないとき
「考えすぎなじゃないかと思ったんです」
先日、学生さんとお話させていただいている中で、学生さんがぽろっと漏らした言葉です。
私が、直接やりとりをする機会をいただける学生さんは、40代の方が多いです。(同じ匂いがするんですかね。笑)
これまでの様々な経験から、ひとつの言葉やフレーズで、一瞬にしていろんなことを思い浮かべられるのだと思います。ご本人は、考えるのが苦手とか、頭が硬いとおっしゃることが多いんですが、頭の中では、あまりにも自然でご自身では気がつかれないうちに、いろんなことを考えているものです。
アセスメントの解説を終えた後、まだモヤモヤしている、何かがすっきりされないことを感じておられたまま、その回のサポートを終えた、数日後さきほどのメッセージが届きました。
そこから、改めてアセスメントの復習が始まりました。
本日は、第一弾をシェア。
アセスメントとは、対象の患者を知ることである。
突然ですが、お題です。
あなたの目の前に、ひとりの患者さんがおられます。あなたは「この方に必要な看護をしてください」と言われました。さて、何をしますか?
この学生さんの答えは、
回答をいただいたとき、迷わずガッツポーズ。
そうそう、これなんです。これが、アセスメントなんです。
その方に必要な看護を行うためには、その方に必要な看護ってなんだろうか、ということを確認する必要があります。さらに、その方に必要な看護は何かを考えるためには、【その方の状態や状況を知る】必要があります。←これが、アセスメント。
初めて、患者さんにお会いして、何も確認することなく、いきなり食事管理の指導を始めたり、足浴を始めたりすることはありません。(ありえません)必ず、「患者さんを知る」という段階があるはずです。
これをあえて、小難しい例の看護過程の図を見ながら説明すると、こうなります。
「アセスメント」と「看護診断」の関係は、2つめの「看護診断」の段階で、必要な看護を明らかにする=この方に必要な看護はこれであると断定する、そのために必要な証拠をそろえる、のがアセスメント、ということです。
言い換えると、必要なだけの裏付け(証拠)をそろえることで、この患者さんには、この看護介入が必要だと判断できる、ということです。
なんの証拠もなしに、「栄養が足りない」とは言えません。なんの証拠もなしに、「感染しやすい状態だ」とは言えません。
こういう看護が必要だ、という結論になるということは、そのように判断した理由(裏付け)があるはずです。その裏付けを不足なく集めるのが、アセスメント、というわけです。
アセスメントというと、課題の性質上「書く」ということに心を奪われがちです。っで、何を書くのかを説明しようと思うと、どうしても「解釈したこと」とか「情報の意味」とかいう説明になってしまうわけですが、それより先に、アセスメントって何よを理解している必要があります。
なぜなら、アセスメントの記録用紙に書くことは、アセスメントした内容だからです。アセスメントするためには、アセスメントって何よ?ということがわかって、それができることが前提です。
考えすぎて思考が止まってしまっているのだとしたら、まずは「書く」ことは横に置いておいて、基本に立ち返る。アセスメントとは? その方に必要な看護は何かを明らかにするために、「その方を知る」ことです。
「アセスメントができない」とひとくちにいっても、できない理由は様々です。「何かを知らないからできない」のではなく「正しく解釈することを、邪魔する<何か>によって、誤解していることで、できない」ことがほとんどです。
ただ、この誤解は、後になって誤解だったと気づくもので、自分自身ではなかなか気づけないものです。一生懸命考えているのに、自分なりに努力しているのに、いつまでもアセスメントができないとき、ひょっとするとあなたが気づいていない<何か>が、理解を邪魔しているのかもしれません。ひとりで学ぶことに限界を感じている方は、>>>こちらのサポートがオススメです。