看護実習でよくあるアセスメントのダメ出し〜ずれている1〜
「ずれている」と指摘されるとき、次の2つのうちのどちらかが、当てはまることが多いです。
1、所定のらんに該当する内容が書かれていない
2、内容が、患者さんの状態・状況にあっていない
本日は、1、所定のらんに該当する内容が書かれていない、について。
所定のらんに該当する内容が書かれていないというのは、ヘンダーソン看護論の場合でいうと、例えば、食のニードについてアセスメントするらんに、排泄のニードについてのアセスメントが書かれている、という場合です。
なんで、こんなことが起こるのか。
食のニードのらんに、食のニードのアセスメントを書く、なんていうことは、聞けば当たり前のことで、わざわざ説明を聞いても、なるほど!とも、目からうろこでもなんでもない。けれど、この当たり前のことが、重要。
当たり前のことなのに、なぜ「ずれる」のか。
これまで、いろんな学生さんと話をした中で私が思うに、「アセスメントをする」というのが、具体的に何をすることなのかを、理解できていないから、なんじゃないかと。
食のニードについてアセスメントをしていたのに、できあがったアセスメントが排泄のニードに関するものだった・・・って、食のニードについてアセスメントをする、ってことを正しく理解できていない証。
よいです、よいです。正しく理解できていなくても。だからこそ、こうして学んでいるのです〜。
さて、食のニードについてアセスメントする、って、どうすることなのか?
ヘンダーソン看護論の場合、ニードについてアセスメントするというのは、ニードの充足状態について判断する、ということです。
食のニードの場合、「必要な栄養を取ることができているか」「楽しく食べられ、満足感があるか」というこの2つの条件を満たしたとき、食のニードが充足していると判断できます。
看護過程を使ったヘンダーソン看護論の実践 第3版 NOUVELLE HIROKAWA より
<引用・参考文献の最新版>
よくある落とし穴は、「食」という言葉に惑わされて、食と名のつくもの、食に関係するもの、などをすべて「食のニード」に分類してしまうこと。
「食」に関係する情報、という解釈は、間違いではないのですが、範囲が大きすぎて不要な情報も含まれてしまうことがあります。食事の際に呼吸が苦しくなるとか、毎日食後に休息しているとか、食べることが趣味だとか、食べこぼしによって衣類が汚れているとか、・・・確かに「食」に関係はあるものの、食のニードの充足状態を判断するための情報か、というとそうではありません。←ここ、情報を整理する上で重要です。
アセスメントの着地点は、ニードが充足しているかどうか、という判断です。そこを確認しないまま、アセスメントをまとめようとすると、どこに着地するのかが定まらないために、着地するはずのところに着地できなくなります。これが、結果として「ずれる」ということ。
ずれないアセスメントを書くには、何について結論を出すのか=アセスメントの着地点はどこか、を確認してから、書き始めることがカギです。