人間関係も看護アセスメントもダメにするもの
いつも、ありがとうございます。
ローザン由香里です。
看護過程も、人間関係もこれに尽きるな、という、最近わたしがはまっているもの「論理的思考」
倫理的思考とは、筋道を立てて考える、ということなんだけれど、筋道を立てて考える具体的な方法というのは、いろいろあります。今日は、その中のひとつをご紹介。
事実を事実として捉える
事実というのは、事実であって、それ以上でも、それ以下でもない、ということ。
当たり前のことなんですが、これがなかなかむずかしい。
なぜかというと、事実を捉えるのは「人間」であって、事実が、その人のフィルターを通ることで、その人なりの解釈になってしまうことがあるから。
つまり、事実が事実ではなく、その人の主観にもとづく考えにすり替わってしまう、ということ。
例えば。
上司;今日、Aという仕事をお願いできますか?
私;今日はBの仕事を終わらせる予定で、Aを引き受けるのは難しいです。
上司;わかりました。では、Bの仕事をお願いします。Aの仕事は、他の人に頼みます。
私;お願いします。
みたいな会話があったとします。
その後、上司は、最終的に仕事を引き受けた、Cさんとずっと話をしています。
ここからわかる事実は、「上司は、先ほどの件の後、ずっとCさんと話している」
ただ、それだけ。なのに、
「普段なら、いろんな案件について、経過についていろいろ聞いてくるのに、今日は全然聞いてこない。やっぱり、断ったことで、上司の機嫌を悪くさせてしまったんだ…」
これは、勝手に思っていること、であって「事実」ではありません。正確には、事実かどうかはわかりません。
上司がCさんとずっと話しているのは、話す必要のあることが多い頼みごとだったのかもしれないですし、他の用事があったのかもしれないですし、「機嫌が悪い」かどうかは、「私」が勝手に思っていること。
この状況に耐えられなくなって、「私も、Bの件でお手伝いできることがありましたら、申しつけてください」みたいなことを言い出したら、きっと信用を失います。
思い込みにもとづく行動は信用を失う
「私」は、Cさんと上司の忙しそうにしている様子を見て、そんな大変な案件なら、手伝ったほうがいいかも、と「良かれ」と思って声をかけたわけなのですが、相手からすると、「は?」となります。
・すでに、「私」抜きで進めるつもりで、調整しているし
・引き受けられるんだったら、最初から言って欲しいし
・仕事Aを終わらせることが優先でしょ
そもそも、上司の機嫌が悪くなったわけではないのだとしたら。「は?」となるはずなんです。
なぜなら、相手には、「私」の頭の中で起こっていることは見えていないから。
結果としての行動しか見えないので、「なぜ、その結論(行動)になったのか」わからないために、いろんなことの辻褄が合わず、「は?」が生まれます。
人間関係にも、看護アセスメントにも良く効く
人間関係がうまくいかない理由はいろいろありますが、コミュニケーション不足による、解釈の「ずれ」というのは、その理由のうちのひとつです。
そのずれは、どのようにして起こるのか、というと、わかりやすく言うと「思い込み」です。
事実を確認しないまま、今ある条件で、こんな状況なんだと決めつけてしまう=思い込み。
あんなことがあったから、こうに決まってる。
あんなふうに言うってことは、こういうことだって決まってる。
いやいや、決まっていません。
事実は、
・あんなことがあった、ということ
・あんなふうに言った、ということ
だから、こうなんだ、は「あなた」の解釈です。
「だから、こうなんだ」は、ひょっとすると「そうではないかも」しれません。
事実は事実。
解釈は解釈。
これを区別できるようになると、悩まなくてもいいことで、悩まなくて済むようになります。
悩まなくていいことで、悩んだりしてません、と思うかもしれません。が、意外にそうでもないんです。
自分の思い込みによって、事態を悪くしていることって、意外とあるものです。
事実は事実。
解釈は解釈。
これができると、患者さんの状態や状況を、偏りなく判断できるようになります。
アセスメントも、結局のところは、「判断する人」の考えを述べるわけなので、思い込みをしやすい人のアセスメントは、思い込みの強いアセスメントになるのは当たり前なのです。
思い込みチェックは、人間関係も、看護のアセスメントの質も、良くしていきます。
ポジティブな思い込みも、ネガティブな思い込みも、私たちの思うほとんどのことは、「思い込み」なのかもしれません。
なのだとしたら、「思い込みをしているかもしれない」前提で、十分なコミュニケーションを図ることが、ムダに悩みを生まないコツなのかも、ですね。