看護過程の指導が学生に伝わらないとき
いつも、ありがとうございます。
ローザン由香里です。
アセスメントができていないと指摘を受けました。ここを直してきて、と言われたのですが、なぜそこを直す必要があるのか、なにをどうやって直せばいいのかわかりません。実習が不安で仕方がありません。
指導する側は、必要なことを伝えたつもり。
指導される側は、必要なことを伝えてもらっていないと感じている。
なぜ、このようなすれ違いが起こるのか。
「見ているもの(見えているもの)が違うから」
アセスメントを完成させることが、山の頂上にたどり着くことだとします。
指導する側は、どのようにして山の頂上にたどり着くのかを知っています。
だからこそ、この道を、こうやって進んでくると、頂上にたどり着けるよ、と学生にガイドすることができます。
この場合、山を登ろうとしている学生を、頂上から見ている、というイメージです。
その一方で、学生は、まだ山のふもとにいます。
っで、これから登る山を見上げています。
「あんなところまで、登れるかな。大丈夫かな。」不安を抱えて、頂上を見ています。
つまり、「すでに頂上にたどり着いたから見える、頂上までの道のり」は、まだ山のふもとにいる学生には見えない、ということです。
しかも、その道は、本当に自分にとって安全なのか、頂上までにたどり着くのに、最適な道なのか、あの人(指導者)だから登ることができた道であって、私には無理かもしれない、という、たどり着く保証のない道なのです。
「なぜ、そこを直す必要があるのか」
「なにを、どう直せばいいのか」
学生がこれらを理解することを確認しないまま、とにかく直してきて、というのは、不安を抱えながら、山の頂上を見上げている学生に「とにかく登ってきなさい」というのと同じ。
・必要なものが準備できているかどうかも、わからない。
・途中で何かあったら、どうやって助けを呼べばいいのかも、わからない。
・そもそも、私にそんな力があるのかどうかも、わからない。
という学生に、登る勇気を出して、一歩を踏み出させるために必要なのは、「勇気を出して登ってきなさい」とプレッシャーをかけることではなく、同じ景色を見て、学生が感じていることを感じ取ること。
つまり、山のふもとに降りて、ふもとから学生と一緒に山の頂上を見ることです。そして、最初の一歩を踏み出せない学生の思いを知ることです。
・必要なものがそろっているかどうかが、わからず不安なのであれば、必要なものがそろっているかどうかを確認すればいい。
・途中で何かあった時のことを心配しているのであれば、何かあった時の対処法を確認すればいい。
・そもそも自分にそんな力があるのかどうか不安だ、というのであれば、なにがそんな気持ちにさせるのかを聞いてみる。その思いを踏まえて、私はあなたに頂上にたどり着くことのできる力があることを私は知っているし、信じていることを伝えればいい。
最初の一歩を踏み出すことを妨げている要因を、ひとつずつ取り除くことで、足かせが外れて、一歩目が軽くなるはず。
学生にたどりついてほしいゴールがあるとき、「たどり着きなさい」と伝えることが指導ではありません。学生が、学生自身の力でたどり着くことができるように、環境を整えるのが指導者の役目。
なにをどうすれば、学生は、学生自身の力で、ゴールにたどり着くことができるだろうか。この答えを見つけるには、何より学生と向き合い、学生を知ることが大前提。
「不安を取り除くことができれば、一歩を踏み出せるかも」そう判断した場合、不安を取り除くにはどうするといいのかを考えることになり、「遠くから見守ることが、最適だ」そう判断した場合、見守るというのは、なにをどうすることなのかを考えることになる。
「頂上から、自分のいる山のふもとに下りてきて、自分の気持ちを汲み取ってくれた人」として関わることがいいのか、「山の頂上から、とにかく登ってこい、という人」として関わるのがいいのかは、学生の状況によって異なるはず。
【困っているときには、こうするといい】
学生ひとりひとりが異なる個人である以上、誰でにも当てはまる、たったひとつの正解はありません。
だからこそ、指導者は、いつどんな場面でも、この学生にとって、なにが最適な指導なんだろうか、を問い続けることになるのだと思います。
どこがずれているんだろう、
どこが足りていないんだろう。
こちらにヒントがあるかもしれません。>>>看護実習指導者目線アセスメントのチェックポイント