解釈がない情報の羅列になっている代表的な看護アセスメントの一例
こんにちは、ローザン由香里です。
看護アセスメントの「解釈」って何を書くの? の中で、解釈には「その情報を、どのように捉えたのかを書きましょう」という話をしました。
説明の意味はわかっても、自分のアセスメントに当てはめると、できているのかどうか、わからない、ということがあるかもしれません。というわけで、例を挙げてみようと思います。
情報の羅列が悪いのではない
これまでの指導の経験の中で、もっとも多い「情報の羅列になっているアセスメント」は、文字の通り、情報を並べている形になっているものです。
起きていること(起きたこと)=事実、を順に並べているだけ。
事実を並べることは、悪いことではありません。「事実を並べているだけ」 「だけ」なことが問題です。並べた事実のあとに、「っで、その事実をどのように捉えたのか」これを加えれば良いです。
解釈のないアセスメントと、解釈のないアセスメント
解釈のないアセスメント、という表現が、すでにおかしいのですが。苦笑
解釈のない形と、解釈のある形を比べてみようと思います。
解釈のない形 | 解釈のある形 |
入院前、睡眠時間は平均8時間であった。 「調子が悪くなってから、苦しくてなんども夜中に目がさめるようになった」「今は4時間ぐらいは続けて寝てるかな。十分に休めないので、翌日疲れる」という発言がある。 夜間訪室すると、持続点滴の配置を整えていることがある。 | 現在の睡眠時間は、入院前、睡眠時間は平均8時間と比べると、半分に減っている。また、翌日に疲労感を訴えていることからも、現在の状況では、十分な睡眠を確保できていないと言える。持続点滴を注意できることは、安全確保につながるが、現在は、睡眠を妨げる因子になっている。 |
左側の内容は、事実そのもの、のみ。
・平均睡眠時間は、8時間であった。という事実
・「●●」と患者さんが言った。という事実
・持続点滴の配置を整えていることがある。という事実
っで、それは何を意味しているのか。→解釈の一例を、太字で、アンダーラインを入れて、表現してみました。
<入院前の情報を使うときによくある誤解>
入院前は、どうだった、という情報を扱うことはよくありますが、その情報を使って、入院前どうだったか、ということを考えるではなく、その情報をもとに、現在の状態を判断することが重要です。現在の状態を判断するのに、入院前の情報を使う、というイメージです。
もともと1日4時間睡眠で、絶好調の人もいるかもしれません。夜4時間睡眠して、昼2時間休憩する人もいるかもしれません。4時間という数字を、感覚的に多いとか、少ないとか、ちょうどいいとかとらえるのではなく、その人にとってどうなのかを判断するための、入院前を基準にする、ということです。
<患者さんが言われたことを、どう解釈するのかは、聞き手次第>
患者さんがこう言っている、ので、なんとかしないと。患者さんの発言の中に、気がかりな点があるからこそ、なんとかしないと、と思うわけです。気がかりな点は、何か?それは、なぜ気がかりなのか?を考える、ことで、解釈につながります。
4時間という数字を、以前2時間しか眠れなかった頃と比べると(そういう情報があれば)、「良い」と考えることもあるかもしれないですし、8時間と比べて足りていないという考えもあります。断続的でも眠れるというのは、以前より良くなっています(そういう情報があれば)、と考えることもあるかもしれないですし、継続したある程度まとまった時間を睡眠に充てられないと健康的ではない、という考えもあります。
普通これを読めば(聞けば)わかるでしょ、という思い込みは危険です。
このケースで、そのような思い込みをすることが危険、ということなのではなく、「思い込み」を「思い込み」だと自覚しないということが日常になると、どんな場面でも、自分が基準で、それが正しいと思い込んでしまう、ということが起きるのが危険なのです。
事実は、事実以上でも、以下でもありません。
その事実を、どのようにとらえるか、この解釈が、看護の必要性を判断するためのカギになります。
少なくとも含まなければいけないこと
アセスメントの解釈の中で、最低限述べなければいけないこと、それは、結局のところ、そのパターンでは、看護介入が必要な状態なのか、必要ではない状態なのか。
睡眠・休息パターンの場合であれば、十分な良質な睡眠・休息がとれているのか。このことについては、少なくとも述べておく必要があります。
「こういう症状がある。こういう治療をしている。こういう発言が聞かれる」
これは、事実を並べた状態で、結局のところ、どんな睡眠状況なのか(看護介入が必要な睡眠状況なのかどうか)について、述べられていません。
ここに続いて、このことから、睡眠パターン混乱があてはまる、とはなりません。(正確には、これだけでは看護診断できません)
他のパターンでも同じです。
結局のところ、必要な栄養は取れているのか?
結局のところ、必要な水分は取れているのか?
結局のところ、生理的な排泄はできているのか?
結局のところ、自分のことを肯定的にとらえることができているのか? などなど
現在の状態、状況を示す徴候(情報)をそれぞれ解釈した結果、結局のところ、どんな状態なのか。ここを述べておきたいです。
何を意味しているのか、を説明するのが難しい時は、そこに時間をかけすぎず、ひとまずは保留にして、次の段階;分析に進む、というのも、ひとつの方法です。
ですが、その場合でも、解釈のまとめとしての、っで結局のところ、どんな状態なのか、については、述べておくと、あなたの考えを確認した上で、次に進めることで、相手が混乱することも防げます。
情報それぞれの解釈はむずかしいことがありますが(実際に、参考書に乗っているアセスメントで、これ解釈ないなぁというのも、少なくありません。苦笑)、解釈のまとめとして、結局のところ、どうなのか、ここは押さえておきたいです。
十分な睡眠が取れていない、という結論のときには、そう判断した材料となる「情報」があるはずです。なぜ、それだと十分な睡眠が取れていないと言えるのか、を考える時、「じゃぁ、どんな状態、状況だと、十分な睡眠がとれているといえるのか」を考えてみるといいです。
良い状態、状況を良い、と判断する理由が、良くない状態、状況を良くない、と判断する理由のヒントになるはずです。^^
文字で説明しようとすればするほど、わかりにくくなっている気もしますが、情報は事実を示したものであること。情報は、それをどのように捉えたかによって意味が生じること、これが基盤だと思います。
解釈って、なんですか?と聞かれれば、こんなふうに答えますが、解釈という作業をするなかで、一番大事なことは、やっぱり、
今回のケースで、そのような思い込みをすることが危険、ということなのではなく、「思い込み」を「思い込み」だと自覚しないということが日常になると、どんな場面でも、自分が基準で、それが正しいと思い込んでしまう、ということが起きるのが危険なのです。
この事のように思います。
ひとりとして、同じ人間はいません。私にとっての当たり前が、あなたにとっての当たり前ではなく、あなたの常識が、私の非常識だったりすることもあります。このことを、認識していることが、相手を偏りなくとらえる上で、重要なのだと、私は感じています。
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