看護アセスメント聞けば聞くほどどわからなくなるとき
こんにちは、ローザン由香里です。
アセスメントってなんですか?
結局のところ、何をすればいいんですか?
具体的に教えてください。
ということで、枝葉の部分にあたる「方法」「何をどのようにするのか」について、説明してみましたが、読めば読むほど、よくわからない、という「木を見て森を見ず」な状態が起きているかもしれません。
「木を見て森を見ず」
木を見て森を見ずとは、物事の一部や細部に気を取られて、全体を見失うこと。
細部の後は、もう一度全体をみてみましょう。
アセスメントとは
対象の状態を判断すること、です。
つまり、アセスメントを書く実習記録用紙には、「対象の栄養代謝は、このような状態である」という内容をまとめる、ということになります。
では、「このような状態である」の中には、どんなことを含めればいいのか。
・解釈
・分析
・予測
これらのことが影響して、こんな現象が起きていて、ここに介入しなければ、こういうことが起こりうる。そんな状態である。とまとめること。
必要な情報をもとに、必要な知識を使って、テーマごとにこの3つの作業を行うと、結果として対象の状態を判断できます。判断した内容を、記録用紙に書きます。
方法にこだわりすぎない
この際なので告白しますが、方法なんていうのは、正直なんでもいいです。苦笑
大事なことは、どんな状態なのか、という判断(結論)があること。そして、その判断に裏付けがあること。です。
↑この条件を満たすことができれば、看護過程におけるアセスメントとしては十分成り立ちます。
看護過程におけるアセスメントとして十分に成り立つ、というのは、アセスメントの次の看護診断、そのまた次の看護計画に続くアセスメントになっている、ということです。
アセスメントというのは、そもそも「書ける」ことがゴールなのではなくて、アセスメントをしている、その方に必要な看護は何かを判断するための第一歩です。
ということは、第一歩としての役割を果たせば良い、私はそんなふうに考えています。
むしろ、余計なものがごちゃごちゃなく、スッキリしている方が、私は好きです。(そう、アセスメントって、読み手にとって好みがあるんです。心当たりがあると思います。ご自身で読んでいて、しっくりくるアセスメントと、そうでないアセスメント。もはや、好き嫌いの話になっています・・・苦笑)
完全にルールを無視したやり方
前にお伝えした方法を、一般的なやり方とするなら、こちらでは完全にそれを無視した方法をお伝えしようと思います。
繰り返しますが、方法はなんでもいいんです。必要な内容にさえ、なっていれば。
というわけで、情報がそろいました。それらの情報をもとに、アセスメントを始めます、というところで、どうぞ。
1、解釈もしない、分析もしない、予測もしない、何もしないその前に、必要な看護が浮かんだとき、ひとまずその看護を控えておきます。
2、その看護が必要だと思うきっかけになった情報を抜き出します。
2、の段階で、ひとつも該当する情報が見つからなかったら、それは『裏付けがない』ということで、最初に浮かんだ看護は、妥当ではない可能性が高いです。
2、の段階で、該当する情報が見つかったら、それをもとに解釈、解釈がむずかしければ、ひとまず飛ばして、分析に入ります。続いて予測。っで終了。
今回の方法は、アセスメントの最初の部分だけ、作業の順序が違います。
この方法は、学校では、あえて教えてもらわないことが多いです。というのは、最初の段階で、必要な看護を思いつきっぽく見つけているからです。
まずは、てきとうでもいいので、思いついたものを挙げてみるといいよ〜、と教えている人を見たことがありません。苦笑
ただ、実際には、思いつきではなく、てきとうでもないんです。その看護が必要だと思った、その背景には「何か」があるはずなんです。
これを掘り下げていくことが、結果アセスメントになります。
看護は浮かぶけど、アセスメントができない、という場合、アセスメントが「できない」のではなく、意識して「していない」のだと思います。
1、浮かんだ看護を、ひとまず控えておく
2、その看護が必要だと思うきっかけになった情報を抜き出す
この後に、解釈、分析、予測と始めてみるといいです。^^
アセスメントというのは、「こういう看護が必要である」というその判断の【理由】だと考えて良いと思います。