看護の学びレポートが書ける人と書けない人
いつも、ありがとうございます。
ローザン由香里です。
授業、ビデオ学習、実習、演習などの後に書く「学びレポート」
説明の内容を箇条書きにまとめるだけの人と、学びを述べることができる人。両者には、どんな違いがあるのでしょうか。
フォローアップメールから抜粋
身になる学習をするためには、身になる学習とは何かを
理解していることが重要です。
あなたのご存知の通り、人は、生きていく上で「栄養」が
必要です。
私たちは、一般的には「食べる」という方法で、栄養を
取り入れます。
取り入れるものとしては、ご飯や、野菜やお肉や魚や、
といろいろあるわけなのですが、大事なことを確認して
おきましょう。
外から取り入れたものを、体の中に取り入れるためには、
咀嚼をして、嚥下をして、消化をして、吸収をする必要
があります。
にんじんは、にんじんのまま、体に取り入れられるわけ
ではありません。
お肉は、お肉のまま、身体に保存されるわけではありま
せん。
ということは、身体に必要な「栄養」を保つためには、
食べる、という行為以外に、咀嚼ができたり、嚥下がで
きたり、消化や吸収ができたりする必要があるわけです。
言い換えると、食べるという行為ができたとしても、消
化吸収する器官が正常に機能しなければ、栄養がとれた
状態にはならない、ということ。
これが、そのまま「学習」にもあてはまります。
授業を受けて、得た知識というのは「にんじん」そのも
の。つまり、そのままでは「身に」ならないわけです。
それを消化して、吸収して、初めて血となり、肉となり、
つまり身になる、わけです。
看護学校でもよくあるかと思うのですが「学びレポート」
学生さんが書く学びレポートには、大きく2種類あって、
1つは、学びが書かれたレポート。もう1つは、学んだこ
とが書かれたレポート。
え?何が違うの?
「学んだこと」というのは、新しく得た知識そのもの、
を指していることが多いです。
先生が話したこと、そのもの。
先生が説明したこと、そのもの。
なので、学んだことのレポートは、こうだった。あーだっ
た。これは、こうである。それは、こうなる。ということ
がわかった。のような内容になることが多いです。
その一方で、「学び」というのは、新しく知識を得たこ
とによる、自分の中の「反応」を指していることが多い
です。
「反応」というのは、気づき、ひらめき、腑に落ちる、
などと言い換えるとイメージしやすいかもしれません。
与えられたことそのものではなく、与えられたことと、
自分の中にあるものとが反応した結果、感じたこと、み
たいな表現にすると、伝わるでしょうか。
要は、新しい知識を得ることで、自分の中で何かが起こ
る。それを感じる。このことを、学びだと言っているわ
けです。
・効率を図るためには、最初に目的を確認することが重
要である
これは、学んだこと。
・効率を図るためには、最初に目的を確認することが重
要である。今までは、目的を確認しないまま、作業を始
めていたせいで、どこに向かっているのかがわからず、
何度も迷子になっていたのだと気付いた。
これが、学び。
呼び方とか、私の場合はどっちなのかを判定する、とか、
そういう話ではなく、
「反応」を起こす=咀嚼・消化・吸収する
反応なしの、与えられるだけの学習は、身にならないと
いうことです。
講座では「課題を提示」して、意図的に解説を聞いても
らうことを、勧めています。
大事なポイントを意識して拾ってもらうことが目的なの
ですが、「拾う」ことがゴールではありません。
拾ったものを、「身にする」ことがゴールです。
正確には、拾ったものを身にすることで、効率よく看護
過程を展開する力が、少しずつついていく、ということ
です。
新しい知識を得るときには、心や脳の反応を意識してみ
てください。
脳は、摩擦のないもの、感情の動かなかったものは、
「大事なものではない」と判断して、忘れていいものに
振り分けます。
今回の講座を受けることを決めたのには、理由があると
思います。
こうなりたい、こうなりたくない。
そのためには、「学んだこと」が蓄積されればいいのか、
「学び」を積み重ねていくとよいのか。
毎回、1回分を3回のメールでフォローしています。
1回目は、口の中に入れる。
2回目は、咀嚼。
3回目は、消化・吸収。
学んだことを、身にするために、
こんな構成になっています。
願いを叶えるために、大切な時間を最大限有効に使うた
めに、
課題に取り組むことの意味、学び目的、について、改め
てお伝えさせていただきました。
あなたの期待する実習に、あなたの理想の看護師になるた
めの、学びのお手伝いになりますように。