看護過程で正しい統合ができなくても大丈夫な理由
いつも、ありがとうございます。
ローザン由香里です。
看護過程における「統合」とは、について、>>>こちらの記事に書きました。
アセスメントをした結果によって、あがってきた看護診断(看護問題)を整理しよう、というのが統合なわけなのですが、個人的には、それほど「統合」に神経質にならなくてもいい、と思っています。
神経質にならなくてもいい、というのは、「正解な統合」にとらわれなくてもいい、ということ。
正しく統合ができることで、現在患者さんに必要な看護介入は何かが、明確になります。ずばり、これとこれと、これに対して、看護計画を立てていきましょう、ということを確認できて、過不足なく看護計画を立てて、看護計画の実施、に進んでいくことができます。
ただ、正しい統合ができないと、看護計画の実施(看護過程の次のステップ)に進めないのか、というと、そうではないんですね。正しい統合でなくても、次のステップには進めます。
進めますが、進んだ後に、
・あれ?この看護計画と、こっちの看護計画、結局同じ看護目標になるな〜、とか
・この看護目標が達成すれば、結局こっちの看護問題も達成するな〜、とか
統合する必要のある、2つ、または2つ以上の看護問題(看護計画)があることに、気づくことになります。
こうして、統合する必要がありそうだ、と気づいた時点で、統合すればいいのです。
2つの異なる看護計画Aを看護計画Bに、まとめた方が良さそうだと気づいた時、看護計画Aの実施評価の中で、こういう理由で、この2つの看護計画をまとめた方が良さそうだ、なので、まとめる、ということを、書いて、晴れて統合。
っで、看護計画Aは、事実上なくなって、次の日からは、看護計画Bを実施することになります。(が、実際には、看護計画Bの中には、看護計画Aのうちの必要な内容が、盛り込まれることになります。統合=まとめる、わけなので)
統合も、アセスメントも、看護診断も、
看護過程における、どのステップの作業も一発で「正解」を出すことが大切なのではなくて、
結果として、患者さんにあった判断ができることが重要。
っで、患者さんにあった判断、というのは、頭の中だけでできないことがあります。頭の中で判断した結論はこれだけど、その結論をもとに進んでみたら、この判断よりも、こっちの判断の方があってそうだね、ということがあります。
これは、判断が間違っていた、のではなく、その時点でのベストな判断だったけれども、次に進んだことによって新たな情報が増えたことで、あたらしい判断が生まれた、ということです。
↑これは、進んでみないと、わからなかったことなんですね。
今回の統合を例に挙げると、統合しても、しなくても、看護計画Aに含まれる内容も、看護計画Bに含まれる内容も、実施することになるんです、結局のところ。
看護計画Aと、看護計画B、の2つがある、のか、
看護計画Bの中に、看護計画Aの内容が網羅されて、見た目は一つの看護計画になる、のか、の違いだけです。
間違いではなかったことに、気づいていただけたでしょうか。
次に進んで「あ、前の判断間違ってた」と気づいた時、それは、判断をしたその時点での、ベストな判断であって、「間違い」ではありません。
あれ?なんだか、今の状況とあわないな、と「気づけたこと」が重要なのです。
看護過程は、「仮説と検証」の繰り返し。
繰り返しの中で、より患者さんに適した看護に近づいていきます。午前中より、午後。昨日より、今日。今日より、明日。
ある時点で、「これが、患者さんに必要な看護だ!」と答えを出して、終わりではないのです。もっと、より良い看護はないのか、もっと適した、もっと患者さんにあった看護はないのか、これを途切れることなく、繰り返し考えることが、看護過程の展開なのです。
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